くうねるところにすむところ

寝て起きて音楽聴いて飯食って

満腹の感覚

久々に学校へ行くと友達に「あれ?なんで来てるん?」と言われ軽くショックを受けた本日。(インフルエンザの 熱が下がって何日目から活動できるか の計算が人それぞれ違ったみたい。)

 

どしゃぶり雨の中、晴れぬ気持ちで下校し、途中マクドで寄り道して雨が止むまで時間を潰した。雨だったのが嘘かのように一瞬で太陽が顔を出し悔しかったが、チョコパイとポテトを食べ、たわいもない会話を友達として「ばいばい」をする。このまま帰るのもなぁ〜と思い近場の本屋さんへ。

近所で一番大きなショッピングモール(と言っても本当にスーパーくらいの規模)の4階にある本屋さんは、文庫本/雑誌/コミックとそれぞれ分かれていて当たり前のようにコミックコーナーへ足が向く。

ぐるっと1周するが毎日のように本屋へ行っているのでお目当てそのものが無く、雑誌コーナーへ。これも発売日に全て読んでしまう音楽雑誌をぺらぺらと捲る程度に読み、元へ戻す。

こうして時間を潰すこと自体が好きだ。

いつもならこのままエスカレーターを降りて家路に着くのだが、今日は何故か文庫本コーナーを覗いてみたくなった。何かを読まなきゃいけない気がした。

大好きな重松先生の読破していない本に手を出すか、はたまた適当に選ぶか。いつも表紙で買ったり店員さんのポップで買ったり数ページ読んで興味が湧いたら買ったり。そんな適当な選び方だが、今日も変わらずそうだった。

小川洋子「シュガータイム」

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主人公の女性はある2つの出来事から得た感情をきっかけに毎日「日記」を付けるようになる。その内容が、”今日食べたもの”たったそれだけ。

ある日突然起きた、「食べる」という行動への異常な執着心の謎を解きつつ、流れゆく時間、彼女に関わる姉弟、恋人、友人など様々な人の人生及び価値観、そしてわたしがこの本を買う一番のきっかけになった「些細なことへの感動」が描かれている。

 

例えば、主人公は四六時中「食べる」を無意識にも考えてしまう学生だがこれがまたすごい。日記に書かれたドーナツ一つに対して、(日記には ドーナツを7個食べてしまったことが箇条書きされている)

わたしはそれをほとんど無意識に飲み込んだ。ドーナツは喉の奥を、シャボン玉のようにふんわりと落ちていった。しかし、ノートの中のドーナツという文字は、鮮やかで生々しく刺激的だった。文字を見ていると、表面が油でしっとりと潤んでいる様子、指先に付いてくる粉砂糖の感触、生地の空気穴の繊細な模様などをはっきりと思い描くことができた

 

食べた時の感覚と文字にした時の感覚のギャップが分かるが、普段こんなにドーナツについて考えたことが無かったわたしはびっくりして、でも確かにその感覚は間違いなんかではなくて、口へ放り込むとシャボン玉のようにふんわりと落ちていく。文字にすると真ん中にまぁるい穴あきのドーナツに砂糖と油でべたついた文そのままの感情が湧く。

他にも『この感覚は、作者によって言葉の魔法にかければこうなるんだ!』と沢山発見がある。

アスパラガスにアイスクリーム、パウンドケーキにコーヒー。

春の暖かさに夏の蒸し暑さ、秋の涼しさに夜の深さ。

 

そうやって普段何気なく目にしているもの、口に運んでいるものが彼女の言葉によってすごく理解の深まるものになった。

今日食べたポテトの山にだって1本1本に揚げ加減や塩の量、香りと食感など物語があったはずだ。少しの意識で全く違う世界になる。

そうやって伝えるためには言葉選びも大切で私は作中のシャンデリアについての説明で「光が弾ける」という言葉に魅力を感じた。

 

話も短くて読みやすかったので、食べることが好きな人にはもってこいだと思う。

 

 

今年はとにかくいい音楽を聞いて、いい本を読んで、いい映画をみて、美味しいものをたべたい。